自然保護
プウホヌア・オ・ホーナウナウ国立歴史公園
2007年2月22日、The Trust for Public Land (歴史的・文化的に重要な土地、自然、公園などを守るために1972年に設立された米国の非営利団体) とThe National Park Service (米国国立公園局) により、プウホヌア・オ・ホーナウナウ国立歴史公園の拡大を祝うセレモニーが行われました。
1981年までは、プウホヌア・オ・ホーナウナウ国立歴史公園の土地は、海からマウナ・ロア山の斜面に向かって7120エーカーにおよぶホーナウナウというアフプアアの一部でした。
1848年にグレート・マヘレという土地制度が制定されて、カメハメハ1世の孫娘であるミリアム・ケカウオノヒの土地となりました。彼女の最初の夫はカウアイ島の王様の息子でケリイアホヌイでした。2番目の夫はコナの酋長の子孫であるレヴィ・ハアレレアでした。ミリアム・ケカウオノヒの死後、りーヴァイ・ハアレレアがこの土地を相続しました。
1867年には、チャールズ・R・ビショップが妻のバニース・パウアヒ(カメハメハの孫娘)のために、この土地を買いました。バニース・パウアヒはカウヴァロマリエ(王族が住んでいた場所)にココヤシをたくさん植えました。男性たちが穴を掘り、バニース・パウアヒが芽生えたココヤシを置き、女性たちが砂で覆ったそうです。
1891年(バニース・パウアが亡くなってから6年後)、チャールズ・R・ビショップは、この土地をバニース・パウアヒ・ビショップ・エステイト財団に譲渡しました。同財団は、昔プウホヌア(犯罪者が罪を逃れることのできる場所であり、戦争中には女性、子供、老人たちにとって安全な場所)として使われていた部分の土地をサミュエル・デイモン氏に賃貸しました。サミュエル・デイモン氏は石垣などの修理を開始し、1902年に完了しました。
1919年にビショップ・ミュージアムのジョン・F・G・ストークス氏がプウホヌアの考古学的・民俗学的な調査を行いました。1956年と1957年にも調査が行われました。
1961年にプウホヌア湾からキイラエ湾までの海に沿った土地182エーカーがプウホヌア・オ・ホーナウナウ国立歴史公園となりました。そのうち25エーカーはキイラエという昔の漁村の一部でした。キイラエには1930年ごろまで人が住んでいました。
キイラエ村の残りはマクキャンドレス牧場の所有地の一部でしたが、相続人たちが2000年7月に売りに出し、この土地を含む800エーカーの土地をCMI Develepmentという不動産開発会社により住宅地としての開発への動きが始まりました。
この土地には文化・歴史・自然遺産として未開発のまま残しておくべき土地を含んでいるので、開発されないように保護するための草の根運動が始まりました。
プウホヌア・オ・ホーナウナウ国立歴史公園の公園拡大の許可と予算(460万ドル)が下りるまでに時間がかかるため、2001年に、プウホヌア・オ・ホーナウナウ国立歴史公園に隣接した238エーカーの土地を開発から守るために、まずはThe Trust for Public Land が買い取りました。
2006年にプウホヌア・オ・ホーナウナウ国立歴史公園の拡大が可能になり、The Trust for Public Land と国立公園と間での土地の売買が完了しました。この結果、プウホヌア・オ・ホーナウナウ国立歴史公園の規模が182エーカーから420エーカーになり、キイラエ村跡全体が保護されるようになっただけでなく、山側の農地跡も保護されるようになりました。
この歴史公園は、年間約50万人もの人々が訪れています。これからも自然・文化遺産として次世代へと受け継がれていくでしょう。
このブログは、ハワイ島でエコツアーを案内するHAWAII NATURE EXPLORERSの環境保護への取り組みのひとつです。緑豊かなヒロよりアロハをこめて発信しています。