ハワイの文化
「ホークーレア号」 アロハの掛橋
’Au i ke kai me he manu ala (Cross the sea like a bird.) 「鳥のように海を渡る」、これはハワイの諺です。
星、月、太陽、風、雲、波の動き、海鳥や魚たちなど、大自然が示す導きとともに、2007年1月11日にオアフ島を発ったハワイの遠洋航海カヌー「ホークーレア号」は6月9日に横浜に到着しました。
古代ポリネシアでは、海図もコンパスも使わずに、ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結ぶ海域(約3400万平方キロメートルにもわたる海域)を航海していました。古代使われていたカヌーを復元したものが「ホークーレア号」です。西洋人の渡来が始まったころの記録にある全長100フィート(約31メートル)のカヌーと比べると、1975年に完成した全長約62フィート(約19メートル)の「ホークーレア号」は小型です。
ホークーレア号」の名前の由来は、「ホークーレア」という名の星。「ホークーレア」とはハワイ語で「幸せな星」または「喜びの星」という意味です。
北斗七星はひしゃくのような形をしていますが、そのひしゃくの柄の部分の曲線を延長してたどっていくと、オレンジ色の星があります。この星は、うしかい座にあるアルトゥルスという恒星です。この星のハワイ語名が「ホークーレア」です。ハワイ諸島の天頂を通過する星です。
1976年のハワイからタヒチまでの航海が「ホークーレア号」の処女航海でした。今回の航海は9回目の遠洋航海だそうです。
ハワイでは、800年前には遠洋航海が途絶えていたために、「ホークーレア号」の遠洋航海の実現するために必要な航海術がハワイには残っていませんでした。「ホークーレア号」の処女海で、ハワイからタヒチまで導いてくれたのは、ミクロネシアのサタワル島に住むマウ・ピアイルッグとう航法師です。
マウ氏への恩返しとして、航海カヌー「アリンガノ・マイス号」を寄贈することを目的に、「ホークーレア号」は「アリンガノ・マイス号」と共に、2007年1月11日にハワイ島カワイハエ港に向かってホノルルを出航し、ハワイ島カワイハエ港より、マーシャル諸島、ミクロネシア諸島、パラウ諸島へと向かいました。
ミクロネシア連邦のヤップ島から「ホクレア号」は日本に向けて北上して、日本では7つの港に寄航しました。サトウキビ・プランテーションの労働者としてハワイに移民してきた日本人たちの出身地である沖縄(糸満)、熊本(宇土)、福岡、山口(周防大島)、広島に寄航しました。広島と同じく原爆を経験した長崎や、2001年2月にハワイ沖で起きた「えひめ丸」の事故に追悼の意を込めて愛媛(宇和島)に寄航することも今回の旅の目的でした。そして最終目的地は横浜でした。横浜は1881年(明治14年)3月4日、カラーカウア王が世界周遊中に寄航した場所です。日本人のハワイ移民に関する合憲文書が取り交わされたのは1885年です。
アロハの掛橋がハワイから太平洋の国々にかかっています。そしてこの掛橋は太平洋から世界に広がっています。
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P.S. この「ホークーレア号」の写真は、都立戸山高校の霜山先生が撮ってくださったものです。都立戸山高校は2006年に引き続き、2007年もハワイ島とオアフ島で海外セミナーを行います。
TropicaのTraさんによるブログ記事をぜひ読んでみてください。感動が伝わってきますよ。
ポリネシア航海協会のサイト
ポリネシア航海協会の2007年航海ブログ(英語)
ポリネシア航海協会の2007年航海ブログ(日本語)
このブログは、ハワイ島でエコツアーを案内するHAWAII NATURE EXPLORERSの環境保護への取り組みのひとつです。緑豊かなヒロよりアロハをこめて発信しています。