自然保護
シアトル酋長の心に響く言葉
Chief Seattle’s reply to a Government offer
to purchase the remaining Salish lands.
アメリカ北西部にあるワシントン州の都市、シアトル。シアトルという名前は、この土地の先住民族、ドゥワーミシュ族(Duwamish)のシアトル酋長(Si’ahl, “Chief Seattle” 178?-1866) の名前に因んでいます。
200万エーカーの土地を15万ドルで買い取りたいというアメリカ連邦政府の申し出に対するシアトル酋長の返事は、何通りかに伝えられているそうですが、どれも心に響く言葉です。1854年にスクアミシュ族(Squamish)の保留地へ移住させられるまぎわの言葉だそうです。 シアトル酋長が条例に署名したのは1855年です。
ワシントンの大首長から我々の土地を買いたいとの申し入れがあった。我々にとって聖なる地なので簡単なことではない。どうやって空や雨や風を買おうというのか。そのような考えは我々には馴染みのないことだ。澄んだ空気や水の輝きを所有しているわけではないのに、どのようにそれらを買うことができるのだろう。この土地の全てが我々にとって聖なるもの。どの砂浜も、輝く松の葉も、深く暗い森のどの霧も、どの草原も、羽音をたてる虫も、全てが我々の記憶や経験の中でとても聖なるものなのだ。私の体の中に血が流れるように、木々の中を樹液が流れている。小川や川を流れる輝く水は単なる水ではなく、我々の祖父たちのそのまた祖父たちの血である。空気はとても大切なものだ。空気が養う全ての命にそのスピリットが分け与えられる。私の生まれて初めての息を与えてくれた風は、私の最後の吐息を受ける。我々は地球の一部であり、地球は我々の一部である。岩が切り立つ山の頂、草原、馬、全ては同じ家族の一員である。香りたつ花は我々の姉妹である。熊や鹿や大鷲は我々の兄弟である。川のせせらぎはあなたのおばあさんのそのまたおばあさんの声である。澄んだ湖の水面に映るぼんやりとした反映ひとつひとつは我々の人生の思い出を語ってくれる。川は我々の兄弟である。我々の渇いた喉を潤してくれる。我々のカヌーを運んでくれる、我々の子供達に食べ物を与えてくれる。兄弟を思いやるように川に対する思いやりを持たなくてはならない。世間におけるくもの巣のように絡み合った関係「ウェブ」は人がつくったものではない、人はその中の一本の糸にしかすぎないのだ。人がその「ウェブ」になすことは、その人自身になすことになる。あなた達の運命は我々には理解できない。白い人たちは我々の習慣を理解していないということは分かっている。白い人たちにとって土地のある一部は、次の一部と同じである。見知らぬ人が夜中ににやってきて、必要なもなら何でもを持って行く。土地は白い人たちの兄弟ではなく敵である。征服すると次に移っていく。父親の墓は置き去りにし、気にもしない。自分の子供達から土地を奪い、気にもしない。父親の墓も子供達の生まれたときから持っている権利のことも忘れてしまっている。母なる大地や兄弟である空を、買ったり略奪したりするものや、羊や輝くビーズのように売るものとして扱い、欲求が大地をむさぼり滅ぼし、砂漠だけを残し、自分の寝床を汚染し、自分が作り出した廃物によって苦しむであろう。バッファローがすべて殺されてしまい、野生馬がすべて飼いならされてしまったらどうなるのだろう。森の中の秘密の場所に多くの人の匂いがたちこめてしまったときには、丸い丘の景色が電線で汚れてしまったときには、何が起きるのだろう。これらのことは、我々が大地を走る馬と狩猟に別れを告げると共に起きる。最後の赤い人の男たちと女たちが、人の手の加わっていない土地とともに消え去っていくと、彼らの思い出は大草原の上を流れる雲の影だけとなる。海岸や森林はまだあるであろうか。我々の魂はまだ残っているだろうか。生きているものの最後であり、生き残ることの始まりである。赤ん坊がお母さんの心臓の鼓動を愛すように我々はこの大地を愛している。我々がこの土地をあなた達に売るならば、我々が愛したようにこの土地を愛してほしい。我々が大切にしたように、大切にしてほしい。この大地を受け取ったときの状態を覚えていてほしい。子供達のそのまた子供達のために、土地や空気や川を保護し、我々が愛したように愛してくれ。大地は我々の母である。大地に起きることは、大地の息子達や娘達にも起きる。