自然保護
北西ハワイ諸島における自然保護の歴史
北西ハワイ諸島は18世紀と19世紀に国際貿易が盛んになったため、自然環境と野生生物が大きな打撃を受けました。 グアノ(海鳥の死骸、糞、餌の魚、卵の殻などが長期間蓄積して化石化したもの)を肥料に利用するために大量に採掘して自然環境が破壊されました。海鳥は羽毛を目的とした乱獲を受け、アホウドリの卵は食用にされ、ハワイモンクアザラシは肉、皮、脂肪が目的で乱獲され、移入種・外来種が増加し、生態系が破壊されてしまいました。野生生物の生息地が軍事利用された時代もありました。
北西ハワイ諸島での自然環境保護の歴史は 20世紀初期にさかのぼります。
1903年: セオドア・ルーズベルト大統領により、ミッドウェイ環礁を海軍の管轄とし、海兵隊を送り、海鳥猟に歯止めをかけました。
1909年: セオドア・ルーズベルト大統領により、ハワイ諸島保護区(Hawaiian Islands Reservation)が指定されました。
1940年: フランクリン・D・ルーズベルト大統領により、ハワイ諸島保護区(Hawaiian Islands Reservation)がハワイ諸島国立野生生物保護区(Hawaian Islands National Wildlife Refuge)となり、野生生物の保護活動が強化されました。
1967年: リンドン・B・ジョンソン大統領により、ハワイ諸島国立野生生物保護区(Hawaian Islands National Wildlife Refuge)内の陸地と同保護区近辺の海域にある海に沈んでしまっている土地が、研究と教育のための自然保護区(Research Natural Areas)に指定されました。
1983年: ロナルド・レーガン大統領により、排他的経済水域(Exclusive Economic Zone)が創設され、米国領土の200海里(1海里は約370km)内の海域の水産資源や非生物資源の全てが米国の管轄となりました。
1988年: ミッドウェイ環礁が、米国魚類野生生物局と米国海軍の共同管轄によるミッドウェイ環礁国立野生生物保護区(Midway Atoll National Wildlife Refuge)となりました。
1996年: ウィリアム・J・クリントン大統領により、ミッドウェイ環礁の海軍の基地が閉鎖され、ミッドウェイ環礁は米国魚類野生生物局のみの管轄となりました。
2000年: ウィリアム・J・クリントン大統領の大統領令により、北西ハワイ諸島サンゴ礁生態系保護区(Northwestern Hawaiian Islands Coral Reef Ecosystem Reserve)を創設されました。
2004年: ジョージ・W・ブッシュ大統領により、米国海洋アクションプラン(US Ocean Action Plan)における、北西ハワイ諸島の保護の重要さが認められました。
2005年: リンダ・リングル州知事により、ミッドウェイ環礁を除く全ての北西ハワイ諸島とその3マイル(4.8km)内の海域が、州立北西ハワイ諸島海洋保護区(Northwestern Hawaiian Islands Marine Refuge)となりました。
2006年: ジョージ・W・ブッシュ大統領により、北西ハワイ諸島とその周辺海域が北西ハワイ諸島海洋国家遺産(Northwestern Hawaiian Islands Marine National Monument)に指定されました。
2007年: パパハーナウモクアーケア海洋国家遺産(Papahānaumokuākea Marine National Monument)と改名されました。
2010年: パパハーナウモクアケーアはユネスコ(UNESCO)世界遺産として選ばれました。文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えている複合遺産です。