ハワイの文化
ハワイ王国の紋章
このハワイ王国の紋章(The Royal Coat of Arms of the Kingdom of Hawai’i)の写真は、ハワイ島ケアウホウにある、カラーカウア王の別荘を復元した建物の正面玄関近くにあるものです。 (オアフ島ホノルルにあるイオラニ宮殿にある紋章はここをクリック)
この紋章は1845年に公式なシンボルとなったもので、オリジナルのデザインはカメハメハ三世の秘書であったティモシー・ハアリリオ(Timothy Ha’alilio) によるものです。
白と赤と青の8本の縞は、ハワイの旗と同じように8つの島を表しています。 中心にあるのは、昔のハワイの酋長たちの旗で、2本のやりがクロスしていて、カプ(禁じられた、または聖なる、物、場所、人)を象徴しています。先が丸い棒のようなものは、プロウロウと呼ばれるもので、棒の先の丸い部分はカパ(木の皮の繊維で作った布)で覆われたボールです。これもカプを示しています。
内側に向かって立っている2人の酋長は、カメハメハ一世を支えた双子の戦士を表しています。カマナヴァ酋長はやりを持ち、カメエイアモク酋長はカヒリ(鳥の羽の装飾が付いた棒)を持っています。
王冠はカロ(タロイモ)の葉のデザインが施されています。そして下のほうにある水色のリボンにはハワイのモットーが書かれています。このモットーはカメハメハ三世が1843年7月に発言したものです。
Ua mau ke ea o ka ‘aina i ka pono
The life of the land is perpetuated in righteousness.
土地(この国)の命(主権)は正義に守られ永続する。
ハワイの旗 (Ka Hae Hawai’i)
ハワイの旗「カ・ハエ・ハヴァイイ」(Ka Hae Hawai’i)には英国旗「ユニオン・ジャック」が組み込まれています。これは昔イギリスとの関係が深かった名残です。ハワイ王国は1797年から1843年まではイギリスの保護領でした。1843年7月31日にハワイ王国の独立が認められ、1845年5月20日にカメハメハ三世によりハワイの旗が公式に揚げられました。白、赤、青の8本の縞は、南東ハワイ諸島の8つの島を表しています。
聖なる水、ワイ・アポ
ハワイでは、命を与えてくれる神はカネです。カロ(タロイモ)はカネのキノラウのひとつです。キノラウというのはハワイ語で化身という意味です。
ハートの形をした葉の上に残る雨水は、まるで輝くビーズのように美しいです。この水のことを、ハワイ語ではワイ・アポと言います。地面に落ちなかった清い水です。聖なる水として祝福の祈祷のために用いられました。
Storytelling in Hilo by Sig Zane
ハワイが誇る、
ハワイ島ヒロの有名なデザイナー、
Sig Zaneが語るハワイの自然。
とても素敵なビデオです。
ココヤシについて (その4)
ニウ(ココヤシ)の繊維質のところを取り除き、その中からでてきた種子の部分です。この硬い殻を割って、その中に入っていたジュース(液体胚乳)を飲んだ後です。白い部分は固形胚乳で、食べるとコリコリしています。もっと若い実だと、白い部分がもっと少なくて、コリコリしたものではなく、ジェル状のようにやわらかく、スプーンですくって食べることができます。芽の出た実の中には、白くてスポンジようにフワフワしたものになっていて、それは、とても甘くて美味しいです。
ココヤシについて
その1(寿命、利用価値、実や葉を落とす作業など)
その2(実の割り方、成分、カプ制度など)
その3(名前の由来、発芽孔についてなど)
その5(花と実について)
ココヤシについて (その2)
ココヤシの実を割っている様子です。厚い繊維質の層で覆われた実なので、何度何度も実の片方を力強く岩にぶつけて、繊維がほぐれてきたら、次は反対側を何度も何度もぶつけます。そして、手で繊維をむしり取るように取り除いていきます。中から硬い殻がでてきます。これがココヤシの種子です。桃の実だと、美味しい部分がココヤシの繊維質のところにあたり、桃の種のところが、ココヤシの硬い殻の部分です。世界一大きな種子ではないでしょうか。中に液体が入っています。これがココナッツ・ジュースやココナッツ・ウォーターと呼ばれるものです。未熟実の液状胚乳です。種子の発芽のための養分を蓄えた部分です。硬い殻を石でコツンコツンとたたいて割り、中のジュースを飲みます。
この果汁には、カリウム(potassium)、リン(phosphorus)、マグネシウム(magnesium)、鉄分(iron)、ナトリウム(sodium)などミネラルが豊富に含まれているそうです。マンガン(manganese)、銅(copper)、亜鉛(zinc)、ヨウ素(iodine)、セレン(selenium)、ビタミンE(vitamin E)、ビタミンB(vitamin B)も含まれているそうです。
昔のハワイでは、ニウ(ココヤシのハワイ語名)は戦争の神「クー」の体であり、ニウを植えるのは男性の仕事で、ニウの木や実は、一部の例外を省くと全て男性のものとされていたそうです。ニウ・ヒヴァという(濃い緑の実で、成熟した実の殻が黒くなるタイプ)は、儀式のときや、薬としても用いられたもので、女性には前面禁止されていたそうです。ニウ・レロ(赤みをおびた黄色い実で、成熟した実の殻が黄色いタイプ)も女性が食べることが禁止されていたそうです。社会的に厳しく禁止される行為のことをタブー(taboo)といいますが、これはポリネシア語から来ています。 ハワイ語ではカプ(kapu)です。
ニウのことを、Nana VearyさんのおじいさんはHe punawai kau ika lewa (A fountain of water hanging from the air.)と表現したそうです。(Nana VearyさんのChange We Mustという本に書いてありました。) 「宙にぶら下がった湧き水」、この表現は、ぴったりだと思います。
ココヤシについて
その1(寿命、利用価値、実や葉を落とす作業など)
その3(名前の由来、発芽孔についてなど)
その4(食用の実について)
その5(花と実について)
ココヤシについて (その1)
ココヤシ(Cocos nucifera)はもともとハワイ諸島にあった植物ではなく、ポリネシア人が持ち込んだものもだと言われています。ハワイ語ではニウと呼びます。ココヤシの寿命は、人間と同じぐらいです。
幹で、小さなカヌーやドラム(太鼓)などを造ることができます。葉(ラウニウ)で籠を作ったり、家の屋根を葺いたり、実は食べ物であり飲料であり、果肉から油もとれるし、実の殻の周りの繊維はロープなどに利用することができます。殻で食器を作ることもできます。無駄になるところがない利用価値が高い植物です。
この写真は今年の8月にハワイ島南部にあるプナルウ黒砂海岸で撮ったものです。ビーチの側にあるバケーション・レンタルの庭です。人の上に葉や実が落ちてくると危険なので、定期的に人を雇って花や実や古くなった葉を切り落としています。ちょうど作業を行っている日でしたので、色んな話を聞かせてもらいました。お昼休みのようでしたが、デモンストレーションをしてくれました。
イースター諸島とニュージーランドを省けば、ハワイでは他のポリネシアの島々に比べるとココヤシの利用度が低かったようですが、ビショップ博物館のHawaii Ethnobotany Online Databaseをご覧下さい。このサイトの中のリンクをクリックすると、ニウで作ったものの写真を見ることができます。
ミクロネシア・チューク諸島に在住の末永さんが書いたココヤシに関する文章は、私のお気に入りです。
ココヤシについて
その2(実の割り方、成分、カプ制度など)
その3(名前の由来、発芽孔についてなど)
その4(食用の実について)
その5(花と実について)
石の道具
知り合いのロイさんは、ハワイ島南東部のカラパナ出身です。代々彼の家族で使われていた石の道具を見せてくれました。左はタロイモを蒸して水を加えながらトロっとさせたポイを造るためのポイ・パウンダー、右は斧です。
博物館などのケースに入ったものよりも、こうやって先祖代々受け継がれているもを見ると、数倍も値打ちが高いです。頭の中をタイムスリップさせて、彼のおじいさんたちが、これらの道具を実際に使っていた姿を想像しながら、話を聞きました。
「パイパイ」
6月の終わりごろ、プウコホラ・ヘイアウの近くの浅い海で、4人の地元の男性たちが海岸から縦1列に並んで海に入って行き、両手で海面をパタパタたたきながら岸に沿って歩いていました。彼らの向こうには彼の仲間が2人乗ったカヤックが同じ方向に進んでいました。10メートルぐらい進んでいくと、網が張ってありました。
このように海面をパタパタと叩くことによって、魚を網の方へ追っていって、網にかかった魚を捕まえるというパイパイ(pa’ipa’i)という漁法だそうです。パイ(pa’i)とはハワイ語で手のひらでたたくことです。
今回、小さい魚が驚いて泳いでいるところは見えたそうですが、残念ながら一匹も網にかからなかったようです。彼らは年に1回パイパイをするそうです。欲張らないようにしているそうです。
その時の写真はLilikoi Diaryでご覧ください。
カウイラの話
昔々、月明かりのプナルウ(Punalu’u)海岸に、頭がマウナ・ケアの雪のように白いホヌ・ポオ・ケア(Honupo’okea)という海亀が現れました。砂浜にあがってくると、穴を掘って卵をひとつ産みました。その卵は磨かれたカウイラという木のように光沢がある黒っぽい卵でした。
ホヌ・ポオ・ケアが卵を産み、砂で穴を埋め終えると、赤茶けた体をしたホヌ・エア(Honu’ea)という雄亀が砂浜にあがってきました。ホヌ・ポオ・ケアとホヌ・エアは、砂浜に深い穴を掘り、海に戻って行きました。この穴から泉が涌き出てきました。
ホヌ・ポオ・ケアが産んだ卵がかえるとカウイラ(Kauila)という名前の亀が生まれました。カウイラはホヌ・ポオ・ケアとホヌ・エアが作った泉に住みました。人々はその泉をカ・ワイ・フ・オ・カウイラ(Ka wai hu o Kauilaカウイラの勢いをもって涌き出す泉)と呼びました。
子供達はこの泉に遊びにきました。下から泡が上がってくると、カウイラが寝ているのだと言いました。カウイラは女の子の姿になって現れ、子供達と一緒に遊ぶことがあり、いつも子供達の安全を見守っています。