思考

シップマン・ハウス

shipman houseハワイ島で一番長い川、ワイルク川(Wailuku River)にかかるレインボー・フォールズ(Rainbow Falls 虹の滝)の少し下流にリーズ・アイランド(Reeds Island)という島があります。リーズ・アイランドはワイルク川と(Wailuku River)とワイカプ川(Waikapu Stream)の侵食でできた深い谷の間に残った島のような土地です。

そこにシップマン・ハウス(Shipman House)と呼ばれるビクトリアン・スタイルの豪邸があります。馬や軽装馬車のレンタル(horse-and-buggy rentals)を営んで、キーラウエア火山の有料ツアーを初めてやり始めた人物であるジャック・ウィルソン(J.R. “Jack” Wilson)が1899年に川に橋を造り、この豪邸を建築しました。

現在ヒロからボルケーノまではたったの45分ですが、シップマン・ハウスが建設された当時を振り返ってみると、1894年にVolcano Road(30マイルの道で工事費は$90,000) という道が完成し四頭だての馬車(four-horse stagecoaches)が利用されるようになり 、それまで2日間かかっていたのが6時間半になったとう時代です。 その後キーラウエア火山を訪れる観光客が増え続けたため、1901年にHilo Railroadの鉄道がヒロからグレンウッドまで延長されました。観光客はグレンウッドで馬車に乗り換えてボルケーノまで行きました。しばらくすると馬車からモーターバス(motor busses)に変わりました。車が利用されるようになり馬車が使われなくなりVolcano Roadも良くなり、1926年にヒロからグレンウッドまでの鉄道は廃止されました。このころにはVolcano Roadはほぼボルケーノまで舗装されました。1823年から100年間はキーラウエア火山のカルデラ内にあるハレマウマウ火口が真っ赤な溶岩で満たされていた時代で、1924年はハレマウマウ火口が大規模な水蒸気爆発を起こした年です。

1900年にメアリー・シップマン(Mary Shipman、旧名はMary Kahiwa‘aiali‘i Johnson。フェアアメリカン号でハワイに渡来しカメハメハ大王のアドバイザーとなったアイザック・デイビスの血族で、メアリーのお祖母さんは身分の高いハワイアンの皇族。メアリーはリリウオカラニ女王の友達だった。) はこの豪邸を見て大変気に入り、ご主人のウィリアム(William Herbert Shipman、牧場経営者として大成功した人。ウィリアムの両親は宣教師だった。)にそのことを言ったそうです。

メアリーには何も言わずウィリアムはその家を買って($13,000)、彼女を驚かせてあげたそうです。これはシップマン一家が初めてこの家を見てから約1年後の話です。その1年間、ウィリアムはメアリーの前では、この家に関してまったく関心がないようなふりをしていたそうです。 この家は素敵な家だというだけでなく、7人の子供がいたヒップマン一家(実際のところ10人子供が生まれそうですが、3人は亡くなったそうです。)にとって最適な家だったでしょう。ウィリアムのお母さんと兄弟(お兄さんか弟かどちらか)も一緒だったそうですから、なおさら理想的な大きな家でした。一家はThe “Big House”と呼んでいたそうです。

barbara & gary1993年にメアリーとウィリアムのひ孫であるバーバラ・アンダーソン(Barbara Andersen)とそのご主人ギャリー(Gary)がこの家を買いました。それまではシップマン家の会社WH Shipman Ltd.が所有していました。その後3年半かけて改装して現在のベッド・アンド・ブレックファスト「Shipman House Bed & Breakfast Inn」になりました。

有名な作家ジャック・ロンドン(Jack London)、ミュージシャンのヘレン・デシャ・ビーマー(Helen Desha Beamer)、リリウオカラニ女王(Queen Liliuokalani)が訪れたことがあるという歴史的な家です。 リリウオカラニ女王は、ここのラナイ(ベランダ)でポイなどを含んだランチを食べたそうです。そして食後は葉巻を吸い、グランドピアノをひいたそうです。今でもそのグランドピアノがリビングルームにあります。

建物の一番高いところ(タワーの部分)からは、望遠鏡でヒロ湾に入ってくる船を見ていたそうです。1900年代初期のヒロはcenter of commerceとしてとても栄えていた時代でした。

shipman house

私は、オーナーのバーバラにシップマン・ハウスの中を案内していただき、リリウオカラニ女王がひいたというグランドピアノを見て、女王が食事をしたというラナイ(ベランダ)で朝食をいただき、オーナーのバーバラがデザインしたシップマン・ハウスの絵が入ったマグカップでコーヒーを飲みながら、昔の様子を想像してみました。左の写真はそのマグカップ。花は香りがとてもいいプアケニケニで、シップマン・ハウスの庭でバーバラが摘んでくれたものです。朝食には庭で収穫したばかりの新鮮なフルーツが沢山でていました。

http://spiritofaloha.com/features/0704/volcano.htmlを読むと、1900年初期のハワイ島ヒロからボルケーノにかけての様子が分かります。

2008-02-29 | Posted in 思考2 Comments » 

コメント2件

 Mami | 2008.03.02 8:15

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歴史がある建物なんですね。知らなかったです。
以前ヒロに泊まるところを探していたとき、
候補になっていた宿泊先です。(結局、ボルケーノハウスに宿泊)
ただ建物がかわいいとかそれだけのイメージだったのですが…。
B&Bの詳しい情報はあまりないので
すごく参考になりました。またまたMahaloです!!

 Kumiko | 2008.03.02 11:11

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すご~く由緒あるお屋敷ですよね。窓ガラスもガラス自体が丸くカーブしたものがあって、壊れ場合、新しいものを作ってもらうのに大変だそうです。アメリカ本土でも作れるところは2~3箇所しかないそうです。これからも大切に大切に保存してほしい歴史的建造物ですね。

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