思考
NO GREEN NO LIFE
鎌倉の南部さん宅で読ませていただいた、湘南スタイルmagazine(エイ出版社)という雑誌の中でみつけたものです。「NO GREEN NO LIFE」・・・とても気に入ったので写真に収めてきました。
湘南スタイルmagazineは、3、6、9、12月発売の季刊誌で、「湘南には、海や山などの自然を身近に感じ、湘南特有のゆったりとした時間に合わせて、ゆったりと暮らす人々がいる。そんなライフスタイルを持つ湘南に住む人々をとりあげ、彼らの暮らし方のヒントや、自然が身近な湘南ならではの趣味で過ごす穏やかな休日のスタイルを毎号紹介していく。」というものです。
湘南ってハワイに近い感じのところのようです。日本に住むなら、そんな感じのところがいいな?って思いました。
朝焼けのマウナ・ケア
早起きは三文の徳。階段で両膝をすりむきましたが、早起きした甲斐がありました!
ヒロ湾沿いのビーチに到着したときは、まだ真っ暗でした。東の空が明らんでくるとマウナ・ケアのシルエットが見えてきて、空の色が刻々と変わっていきました。
ヒロ湾のビーチには何艘ものカヌーが置いてあります。ここのビーチでは海水浴はしませんが、カヌーの練習やトーナメントが行われます。ちょうど私たちが日の出を待っているときに、4人組で1艘出て行きました。
しばらくすると東の空が益々燃えるように赤くなり、マウナ・ケアがピンク色に朝焼けしてきました。カヌーが帰ってきたと思うと、人数が増えていたので、あれ?っと思い、何で出かけたときは4人だったのに、帰りは人数が増えているのと聞くと、あ?、これはさっき出て行ったのとは違うカヌーだよ、ほら、さっきのは、あそこにいるよって指差してくれました。なるほど、遠?くに小さく小さく見えていました。帰ってきたばかりのカヌーは、私たちが浜辺に到着した時間よりもずっ?と前に、満月が沈む前に出発していたのです。
満月の明かりで輝くヒロ湾をカヌーをこいだり、朝焼けのマウナ・ケアを見ながらカヌーをこぐのって、最高だろうな?っと考えていると、遠くの木々の合間からオレンジ色の太陽が出てきました。とても美しい輝きでした。
波の音を聞きながら、心地よい風を体全体に浴びて、空・山・海の色の移り変わりを観て・・・すばらしい1日の始まりでした。
馬車を使っていた時代の名残
私は、なぜそのような階段なのか何も気にせず考えもせず、何度も何度も上り下りしていましたが、「あ?なるほど!」って思ったのは、お客様と日の出を見に行こうと早朝暗いうちにシップマン・ハウスを出発した日のことです。
階段の上のところで木々の合間に満月が沈んでいくところが見えていたので、「うわ?、きれいだね?」と感動して、その後、私は階段を「軽やかに」さっさっさっと下りていきました。そこまではいいのですが、薄暗かったせいもありますが(そのせいにしたいのですが、おっちょこちょいの私は)、最後の段のことをすっかり忘れていました。さっさっさの後、びょーんと飛んで落下してしまいました。かなり派手な転び方をしてしまったのですが、両膝ズボンに穴が空いてしまって、膝をすりむいてしまいました。大きなドジを踏んでしまいました。
数時間後、傷口を消毒しながら・・・「あ?なるほど!」と、その時点でやっと、なぜ階段があのようになっているのか気づきました。
これは馬や馬車を使っていた時代の名残です。ひさしのある車寄せ(ポーテコーシエ poporte-cochere)に馬車が入ってきて、この1段目のところで、人が馬車に乗り降りしていました。この1段目は少し広くなっていて、そこから上は普通の階段です。1800年代から1900年代に移り変わるころのスタイルです。
私はというと、上品な上級階級の女性が馬車に乗り降りしていた姿とは大違いでしたね。もう少しおしとやかに階段を下りていたなら、あんなに不恰好な飛行と着陸はしていなかったでしょう。それに、私が運転していた車はピックアップ・トラック・・・これもあんまり上品な車ではないですよねえ。
シップマン・ハウス
ハワイ島で一番長い川、ワイルク川(Wailuku River)にかかるレインボー・フォールズ(Rainbow Falls 虹の滝)の少し下流にリーズ・アイランド(Reeds Island)という島があります。リーズ・アイランドはワイルク川と(Wailuku River)とワイカプ川(Waikapu Stream)の侵食でできた深い谷の間に残った島のような土地です。
そこにシップマン・ハウス(Shipman House)と呼ばれるビクトリアン・スタイルの豪邸があります。馬や軽装馬車のレンタル(horse-and-buggy rentals)を営んで、キーラウエア火山の有料ツアーを初めてやり始めた人物であるジャック・ウィルソン(J.R. “Jack” Wilson)が1899年に川に橋を造り、この豪邸を建築しました。
現在ヒロからボルケーノまではたったの45分ですが、シップマン・ハウスが建設された当時を振り返ってみると、1894年にVolcano Road(30マイルの道で工事費は$90,000) という道が完成し四頭だての馬車(four-horse stagecoaches)が利用されるようになり 、それまで2日間かかっていたのが6時間半になったとう時代です。 その後キーラウエア火山を訪れる観光客が増え続けたため、1901年にHilo Railroadの鉄道がヒロからグレンウッドまで延長されました。観光客はグレンウッドで馬車に乗り換えてボルケーノまで行きました。しばらくすると馬車からモーターバス(motor busses)に変わりました。車が利用されるようになり馬車が使われなくなりVolcano Roadも良くなり、1926年にヒロからグレンウッドまでの鉄道は廃止されました。このころにはVolcano Roadはほぼボルケーノまで舗装されました。1823年から100年間はキーラウエア火山のカルデラ内にあるハレマウマウ火口が真っ赤な溶岩で満たされていた時代で、1924年はハレマウマウ火口が大規模な水蒸気爆発を起こした年です。
1900年にメアリー・シップマン(Mary Shipman、旧名はMary Kahiwa‘aiali‘i Johnson。フェアアメリカン号でハワイに渡来しカメハメハ大王のアドバイザーとなったアイザック・デイビスの血族で、メアリーのお祖母さんは身分の高いハワイアンの皇族。メアリーはリリウオカラニ女王の友達だった。) はこの豪邸を見て大変気に入り、ご主人のウィリアム(William Herbert Shipman、牧場経営者として大成功した人。ウィリアムの両親は宣教師だった。)にそのことを言ったそうです。
メアリーには何も言わずウィリアムはその家を買って($13,000)、彼女を驚かせてあげたそうです。これはシップマン一家が初めてこの家を見てから約1年後の話です。その1年間、ウィリアムはメアリーの前では、この家に関してまったく関心がないようなふりをしていたそうです。 この家は素敵な家だというだけでなく、7人の子供がいたヒップマン一家(実際のところ10人子供が生まれそうですが、3人は亡くなったそうです。)にとって最適な家だったでしょう。ウィリアムのお母さんと兄弟(お兄さんか弟かどちらか)も一緒だったそうですから、なおさら理想的な大きな家でした。一家はThe “Big House”と呼んでいたそうです。
1993年にメアリーとウィリアムのひ孫であるバーバラ・アンダーソン(Barbara Andersen)とそのご主人ギャリー(Gary)がこの家を買いました。それまではシップマン家の会社WH Shipman Ltd.が所有していました。その後3年半かけて改装して現在のベッド・アンド・ブレックファスト「Shipman House Bed & Breakfast Inn」になりました。
有名な作家ジャック・ロンドン(Jack London)、ミュージシャンのヘレン・デシャ・ビーマー(Helen Desha Beamer)、リリウオカラニ女王(Queen Liliuokalani)が訪れたことがあるという歴史的な家です。 リリウオカラニ女王は、ここのラナイ(ベランダ)でポイなどを含んだランチを食べたそうです。そして食後は葉巻を吸い、グランドピアノをひいたそうです。今でもそのグランドピアノがリビングルームにあります。
建物の一番高いところ(タワーの部分)からは、望遠鏡でヒロ湾に入ってくる船を見ていたそうです。1900年代初期のヒロはcenter of commerceとしてとても栄えていた時代でした。
私は、オーナーのバーバラにシップマン・ハウスの中を案内していただき、リリウオカラニ女王がひいたというグランドピアノを見て、女王が食事をしたというラナイ(ベランダ)で朝食をいただき、オーナーのバーバラがデザインしたシップマン・ハウスの絵が入ったマグカップでコーヒーを飲みながら、昔の様子を想像してみました。左の写真はそのマグカップ。花は香りがとてもいいプアケニケニで、シップマン・ハウスの庭でバーバラが摘んでくれたものです。朝食には庭で収穫したばかりの新鮮なフルーツが沢山でていました。
http://spiritofaloha.com/features/0704/volcano.htmlを読むと、1900年初期のハワイ島ヒロからボルケーノにかけての様子が分かります。
Heart of Mauna Kea
くっきりと見えるハートです。
何百回何千回と見ている山なのに、これまでなぜ気づかなかったんだろう。いつも見えている山だと、あって当たり前のものになってしまっていたのでしょうか。車窓から見るだけで、立ち止まってじっくりと見なくなってしまったからなのでしょうか。ただ見るだけで観てはいなかったからでしょうか。
毎日見逃してしまっていることが沢山あるのでしょうね。1秒1秒太陽の光の明るさや角度によって変わる風景、季節とともに移り変わる風景、天候とともに変化する風景、二度と同じ風景をみることはないですね。いつも何かが違っています。
自然の中に身を溶け込ませると・・・
昨日はワシントンDCに住むバーダー仲間と探鳥に出かけました。
これまで雨・雨・雨・・・だったのに昨日の天気は信じられないぐらい良い天気でした。早朝まだ日が昇ってくる前にヒロを出発しました。ドライブし始めてから30分ぐらいすると、森の向こうに真っ白な雪帽子をかぶったマウナ・ケア山とマウナ・ロア山が姿を現し始めました。朝焼けで山はピンク色に見えました。
ベスが「Is that a heart there?」と遠くを指差して言いました。見てみると本当にハートの形をした部分がマウナ・ケア山の山肌に見えました。大きなハートで余りにもパーフェクトな形なのでびっくりでした。私はこの山を色んな角度から何百回何千回も観ているのですが今回初めて気づきました。バレンタイン・デーは間近だし、それにべスとスティーブにとって、このハワイの旅は結婚40周年を祝うための旅なので、発見のタイミングがばっちり。
山側からはヒロ湾もはっきりと見えていました。真っ青な空に深緑の森、ところどころに見える真っ白な雲。気分爽快でした。繁殖期なので森の鳥たちはとても賑やかでした。これぞハワイ、Heart of Hawaiiです。森全体に響き渡る幸せそうな鳥の鳴き声を聞きながら、生き生きと伸び伸びと何百年も力強く生きている木々の中を歩くと、命の力を感じることができます。強いマナを感じとることができます。
バーダーというのは鳥たちと何か特別なテレパシーを発して同時に周りからのテレパシーを感じとることができるのでしょうか・・・そう思えるようなことが時々あるのですが(偶然といえば偶然なのでしょうが、ただの偶然ではない不思議さを感じるときってありませんか。)、昨日は2回もありました。飛行中のネーネーの声が聞こえたと思うと木々の合間からネーネー(ハワイガン)が飛んでくる姿が見え、私たちのすぐ側にある草むらのところに降りてきました。私たちがそこから離れてしばらくすると声を出して飛んでいきました。その1時間ぐらい後は、「Should we take a lunch break here?」「Sure. We’ll have the birds come to us this time.」・・・なんてことを言ったその数秒後に、すぐ後ろにあった大きな岩の脇から黒い鳥の姿がすーっと飛んできたかと思うと、私たちの目の前の木の枝にとまりました。イオ(ハワイノスリ)の幼鳥でした。しばらく私たちと目を合わせていました。飛び立って遠くにいってしまうのかと思ったらそうではなく、また別の木にとまりました。更に近い木でした。こんなに近くでイオと目と目を合わせたのは初めてでした。私たちは自然の中に身を溶け込ませていたからこのような体験ができたのでしょう。
夕方からはマウナ・ケア山の山頂に行きました。山頂部は一面真っ白でした。こんなに沢山積もっているのを観るのは久しぶりでした。スノーボードをやってる人達もあちこちにいました。荷台に雪を山盛りに積んで下山しているピックアップトラックを何台も何台も見かけました。私たちもピックアップトラックに乗っていたのですが、シャベルを持ってきていなかったが残念でした。家で私の帰りを待っている三女に雪をプレゼントしてあげたかったです。(長女がまだ12歳ぐらいだったときに、家族全員で雪をとりに行きました。ピックアップトラックの荷台に山のように雪を積み上げて家に持って帰り、雪だるまをつくって雪遊びをしました。そのころまだ4歳だった三女は今年14歳です。)
オレンジ色に輝く太陽が雲海の中へと沈んでいき、西の空ににっこりと微笑むように三日月が見え、月が沈みかけると夜空は雲ひとつ無く満天の星空となりました。星の誕生の場である輝かしいオリオン大星雲を見つめてからヒロへ戻りました。
このブログは、ハワイ島でエコツアーを案内するHAWAII NATURE EXPLORERSが、持続可能な観光について考えるために、あまり観光地化されていない緑豊かなヒロよりアロハをこめて発信しています。
息を呑むような夜明け
この週末、ハワイ島の東側に住んでいる私は、西側のホテルに滞在なさっているお客様方をハワイ火山国立公園にご案内するために、早朝4時半に起きて5時に家を出発しました。家を出発したときは、まだ真っ暗でした。
ワイメアのスターバックスでコーヒーを買って一休みし車に戻ると6時半ぐらいでした。運転し始めると、徐々に東の空が明るくなり始め、雲ひとつ見えず、山々が暗闇から浮き出てきました。コハラ山、マウナ・ケア山、マウナ・ロア山、フアラーライ山。素晴らしい景色でした。刻々と空の色が変わっていき、山々がはっきりくっきりと見え、マウナ・ケア山の上には有明の月がにっこりと笑うように見えていました。
「Beathtaking!」息を呑むような夜明けの景色でした。「早起きは三文の徳」とはこういうことを言うんだなと思いました。
お客様方とホテルを出発してドライブし始めると、マウナ・ケア山の裏側から朝日が昇ってきました。とても清い輝きでした。助手席に座っていらしたお客様が「早起きは三文の徳」というのはこういうことを言うんですねとおっしゃられました。実にそうだなと思いました。
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海辺の秘所
誰一人いない海辺を3時間歩きました。海に落ちる崖に沿ったこの場所は古い溶岩台地の端。海岸沿いはほぼ一面、1つの花を2つに裂いたような白い花を咲かせるクサトベラ科のナウパカ・カハカイという植物で覆われていました。白くかわいい花を咲かせ、葉がサンショウの葉に似たウーレイというバラ科の植物もたくさん生えていました。
ところどころに、こじんまりとした黒砂のビーチや、黒く丸い小石でできたビーチがありました。きっと昔は、このようなところからカヌーが出入りしていたのでしょう。ニウ(ココヤシ)やノニやハラなど、昔の人たちが利用した植物が生えていました。ハラの木の木陰でランチを食べながら、昔の人たちの生活の様子を目に浮かべました。もしかすると昔この木の下で女性たちが、この木の葉で何かを編んでいたかも知れません。
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ドアというものが存在しなかった時代では・・・
Before doors,
the outdoors was just called home.
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ここはいったいどこ?
今週末、ハワイ島のコハラコーストにあるビーチに行きました。リゾートホテルが側にあるビーチです。
午前中に泳いだので、帰りにランチを食べようということになり、20分ほど先のワイメアに行って食べようと考えていましたが、リゾートを通り抜けるときに新しいブティックとレストランが出来ていたので、そこに入ってみることにしました。2階にあるのがレストランで、私達はベランダのテーブルに座ったので、とても見晴らしもよく、気分爽快で、雰囲気もよかったです。でも・・・
私が座ったところは、ベランダの隅だったので、私が向いている方向は、レストラン内がほぼ全体が見えて、他のお客さんの様子や、レストランの装飾などがよく見えました。
シアトルにヘッドクォーターを置くこのレストランは、アイランド・リゾート・ライフをテーマにした雰囲気でしたが、ハワイらしさのないただの南国風のというもので、お客さんたちは、いかにもアイランド・リゾート・ライフを楽しんでいるアメリカ本土から来た人ばかりのようで、お隣のテーブルだけは日本人でした。ウエートレスもアメリカ本土から来た人。私は長年ハワイに住んでいるとはいえ日本人、私の相棒はハワイをこよなく愛しているとはいえアメリカ本土出身、娘はハワイ生まれといってもハワイアンではない、私達と一緒に食事をした友達たちはドイツ人旅行者。
表面的に美しく造られたリゾート地・・・ 派手な厚化粧をしてカツラをかぶった姿のよう・・・ 地元の人たちのために造られたところではなく、地元の人たちが望むものを満たすために造られたものでもない・・・ 周りにあるコンドミニアムには、地元の人たちが住んでいるのではなく長期滞在のリゾート客。ハワイ島のコハラコーストは見る見るうちにリゾート開発が進んでいる。開発を止めることは不可能であっても、もっとこの土地の自然と文化の個性を生かした開発をしてほしいなぁ・・・ ここはカリフォルニアではない、フロリダではない、バハマではない、日本ではない・・・ハワイなんだから。
地元社会ではサトウキビ・プランテーションで働く労働者として移民してきた人々などの文化(日系やフィリピン系や中国系やポルトガル系など)が交わったローカルスタイルになっているけれども、今後もっともっとハワイの文化と言語が復興していきますように。
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